両社は、一九六七年現在、合計で二四七O万ドル強の債券と、七二O万ドル相当の株式を保有していた。
それが二年後には、合わせて四二OO万ドル近くになっている。
これは、Pのような株のベテランにとっても相当な額のポートフォリオだった。
Pはすでに、繊維メーカーだったPの保有証券の運用で、ある程度の成功を収めていた。
一九六五年に経営権を取得したとき、その額は二九O万ドルだったが、最初の年度末には五四O万ドルに増やしていた。
そして一九六七年度には、この投資有価証券は、倍もある繊維部門全体の利益の、三倍を稼ぎ出していたのである。
Pが繊維事業に見切りをつけて保険業に手を染めたとき、彼は単に、ある一つの商品を扱う企業から、別の商品を扱う企業に乗り換えただけだ、という見方もある。
保険業は、たしかに繊維と同じく、同業他社のそれと区別のできない商品を売っている。
保険契約は標準化されているので、誰にでも真似ができる。
登録商標、特許、地の利、あるいは保険会社を区別するような要素といったものはない。
免許を取るのは難しくないし、保険料率は公開されている。
保険会社を区別するのは、人的要素である場合が多い。
したがって、経営者個人の努力が、保険会社の業績に多大の影響を与えるということになる。
一九六0年代末あたりの保険業は儲かっていた。
一九六七年、N社は、払い込み保険金一七八O万ドルに対して、一六O万ドルの純利益を上げた。
それが翌六八年には、それぞれ二OOO万ドル、二二O万ドルに増加している。
早々に好結果を出したことから、Pはこの部門を積極的に拡大していって、一九七0年代には、三社を買収したほか五社を創業している。
しかし、この成功にもかかわらず、一九七O年末頃になると、Pは多少の懸念を抱くようになっていた。
当面、彼にはどうすることもできないいくつかの要因があって、これらが経費面を圧迫し始めていたのである。
消費者物価指数は年率三%の上昇にとどまっていたが、医療費や自動車修理費の上昇率はその三倍であったし、法廷での係争案件について保険会社が支払う金額は、恐るべき勢いで上昇していた。
彼の試算では、総費用は、毎月およそ一%の率で増加していた。
保険料率が同資産ベースでは一O乗に上がらなければ、利益率は低下せざるを得ない。
しかし、料率は上がるどころか低下していた。
一般的に商品市場では、価格の低下は市場シェアを高める方向に作用する。
ところが、Pにとっての問題点は、シェアを落としたくないために、採算性を無視して経費を下回る料率で契約に応じる保険会社があることだった。
いずれそのうちに料率を上げることができて、収益性が上がり、それまでの損失をも取り返せるものと、彼らがそれに賭けているのは明らかだった。
保険業務を、儲からない範囲にまで広げさせなかったのがPの平衡感覚だった。
同業者のほとんどは、自然災害であれ金融上の問題であれ、大きな破局が来るまでは採算割れの業務を続けるだろう、というのが彼の考えだった。
料率についての競争は避けて、Pは二つの点に関して、P保険グループと同業他社との差別化を図った。
第一のポイントは、財務面での強みの活用である。
現在では、Pの純資産は、不動産保険業界ではS社に次いで第二位である。
さらに、その投資資産の対払い込み保険金の比率は、業界平均の三倍になっている。
Pが払い込み保険金の額についてまったく無関心だったというのが第二のポイントであった。
前年比で五倍であろうと、あるいは五分の一になろうと、受け入れ保険金額については、とくに目標は定めない。
彼の望みは、適切な料率であればいくらでも売ろう、ということだった。
料率が悪ければ、ごく控えめな商いで満足するという基本方針は、N社の創始者UJが定めていたものだった。
この方針は以後一度も破られたことがない、とPは言っている。
Pの受け入れ保険料が飛躍的に増えたのは、彼に言わせると、必ずしも同社そのものが原因とは言えなかった。
その臼その日で方針を変えるような、同業他社の経営のほうに問題があるというのだった。
開業他社が採算割れの料率を出しているときには、顧客はPを離れる。
ところが、損失に恐れをなした彼らが市場から手を引くと、そこにはいつもPが控えていて、適切な料率の保険を提供したのだ、とPは言う。
彼のやり方は、業界にとっての安定剤といった効果を上げていたと言えるが、彼自身は次のように述べている。
「わが社は、市場に供給が不足しているときには大幅に供給を増やすし、そうでないときはあえて他社と競争することはしない。
もちろん、これは市場の安定を考えてのものではない。
商いのやり方として最も合理的で、収益性の高い方法だと考えるからだ」一九九0年代になると、激烈な価格競争、止まらない引き受け損失に加えて、投資の成果も芳しくなかったために、保険業界全体として不安定な様相を見せるようになってきた。
こうしたなかでPが主張し続けてきたことは、健全な財務内容と高い信用力はPの存在を際立たせるものだ、ということであった。
事実、Pの、財務的な強みをパックにした保険業務は、業界のなかでも目立つ存在になっていた。
Pが傘下の保険会社に要請してきた財務の健全性、これが、そうでなければ単にグある一つの商品を取り扱う。
企業グループといった存在を、一つの特性を持った連合体に組織していったといえよう。
P保険グループも、過去一0年間は痛めつけられてきていたし、P自身も相応に判断ミスを犯してはいる。
しかし、彼持前の練達した投資術と、常識に裏打ちきれた経営。
のおかげで、Pの株主は、羨ましい境遇にあったと言える。
もちろん、Pは持株会社だと考えれば、一番わかりやすいだろう。
保険会社のほかに新聞社、製菓会社、家具販売会社、宝石居、辞書出版社、電気掃除機販売庖、それに制服の製造・販売会社などを保有している。
Pが、こうしたさまざまな業種の企業を傘下に収めた経過をたどれば、それだけでおもしろい物語になる。
しかし、それらの物語を総合してみることによって、Pの企業の見方を知るうえで重要な手がかりが得られる、ととらえるほうが当を得ているのではないだろうか。
彼が買収の対象として企業を評価するとき、Pの証券投資の対象として株式を選ぶ際と同じ基準を使うとしても、驚くには当たらない。
それに加えて、もう一つの要素を指摘しておきたい。
後に述べるように、これらの企業を保有することによって、Pは、後日、株式を取得するに際して重要な強みになった、貴重な経験を実地に得ることができた、という事実である。
B社P買収の直後に、Pは、Dという複合企業の株を買い始めた。
この会社は、Bの百貨庖ホーチスCと、婦人衣料の販売庖を七五庖ほど持ったチェーン・ストアであるA社を保有していた。
Bの例と同様に、Pは、帳簿価値を下回る対価で同社を買収することができた。
さらに、その経営者は、彼によればか第一級。
の人材だった。
ただ、不幸にもPの場合と同じく、格安の事業と第一級の経営者は得たものの、手に入れた事業の経営は決して楽なものではなかった。
D社を併合した三年後には、ホーチスチャイルド・コーンを売却。
一九八七年には、Aも手離した。
景気が下降局面にあったことが、その理由だった。
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